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2011年4月10日 (日)

釜石湾漁業協同組合物資支援8

ここから尾崎白浜の避難所へ向かった。尾崎白浜の組合員でなくなったのは15人だそうだ。被害が少ないと言っていたが、それでも15人も無くなっているのだ。物資の一部を、特に炊き出し用の食材を届けつつ、本当は会いたい顔がたくさんある。

途中の光景は、目を背けたくなるようなもので、特に、もともとの景色を知っている者にとってはショックが大きくて、声を失ってしまう。ため息とうなり声しか出てこない。同乗者が初めてだったので、説明しなければいけないのだが、説明もできない。

平田の入り口のローソンは表側から裏側へ波が突き抜けたのだろう、屋根だけ残り壁を向こう側がそのまま見える。漁協も何も残っていない。警察も2階までは被災。おばちゃん一人でやっていたラーメン屋は跡かたもない。

尾崎へ着くと思わず目を覆った。言葉が出なかった。わずかに道路としてガレキを片づけている隙間を縫って車を走らせる。尾崎小学校が避難所になっているのだ。当初、さまざまなところに分かれて避難所生活を送っていたこのあたりの漁師たちは、みなここに移動してきている。ちょうど青年部長や、名人の堀内さんは役員の会議で外出中とのことだったが、それでも懐かしい顔がいっぱい。本当に無事で良かった。この小学校は今は廃校になっている。三年前に合併が決まり、廃校になるということで、ここの小学生たちを横浜へ招待していたのだ。我々にとっても思い入れが強い。物資を下しながらいろいろな話を聞いた。

・電気は、ちょうど道路工事の発電機があったので、工事がストップしていることから、それをそのまま使わせてもらっているとのこと。

・水は市役所の給水車が頻繁に回ってきているが、そのほかの水は沢水を引いてためて使っている。

・燃料は定期的に買い出しに行っている。

・やはり生鮮の食材は欠乏しているが、冷蔵庫がなく置けない。やはり食糧不足は深刻のようだ。町場へ行けば買えないわけではないのだが、それをできないほどにすべてを失ってしまったのだ。

・ガレキの中から薪を広い、校庭でたき火をして過ごしている。校庭のたき火を指して、「スナック焚き火」と言って笑っていた。寒いし、夜はなにもすることがない、眠れないし、ひたすら皆でたき火を囲んで話しているのだそうだ。

・工具、FRPの材料、発電機など、そうした道具さえあれば、破損して漂着している船を自分たちで直せると言っていた。仮説の簡単な造船施設を造ってもよい。漁師は技術を持っているのだ。何もすることがないのが一番辛いと言っていた。これは何とかしたい。船を集める話もそうだが、先に向かって何かを始められるという、その手伝いをできるのが一番良いのではないだろうか。先が見えないことで自殺者が増え始めているとも聞く。復興の少しでも手伝いになれないかと改めて、心に誓った。

仮設住宅は、材料不足から建設が遅れている。釜石だけでも初期段階で5000戸を予定しているそうだが、遅れている。仮設住宅には家電はついているのだろうか?仮設住宅建設で、業者がすべてやるのではなく、現地の人たちを雇用できないのだろうか?前向きに働ける場を作ってあげられないだろうか。

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