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2011年4月10日 (日)

釜石湾漁業協同組合物資支援7

避難所へ行く前に漁協へ挨拶に行った。ここで見られる顔も多いためだ。釜石市役所の菊池さんも忙しい中、時間を取って、ここまで駆けつけてくれるという。車を駐車場に入れたまま、釜石駅に向かって歩き始めると様相が一変する。自然の力というのはここまで凄まじいのか。どうやらこのあたりが津波の最高到達点だったようだ。ここまでの間の何も変化の無い普通の生活と隣り合って、こんなに凄まじい光景が拡がっていることに、なんとも言えない混乱が頭の中を渦巻いていた。心が混乱していた。

呆然としているところに釜石市役所水産課の菊池さんが現れた。ここでも涙の抱擁。役所の人でもあり、避難者リストに最後まで名前を見つけられな立ったために、最後の最後まで生きているのかが分からなかった人だ。365日、市場の開いている日は一日も欠かさずに3時に起きて、水揚げの状況をチェックしていた人だ。現場によく出る人なので、それはそれは心配だったのだ。この人にどれだけ御世話になってきたかを考えると、ここでは書ききれない。とにかく無事で良かった。

そして釜石湾漁協に行く。漁協は釜石駅の2階に仮事務所を開いていた。それだけ漁協に力があるのだと思う。そして、雁部さんに会うことができた。雁部さんも泣いていた。広域のネットワークで支えようとしてくれている我々に本当に感謝していると言ってくれた。これからも支え続けなければいけない。船を集めはじめていることにも感激してくれていた。遅くとも11月のアワビの口あけには間に合わせたいと頑張っているとのこと。前川さんと、この雁部さん、そしてもう一人。本当は、ここに平野さんがいるはずだった。平野さんは消防団員であったために、逃げ遅れ被災し遺体も見つかっていないまま、死亡したことになったそうだが、ここでは、平野さんの名前を出して話すことは出来なかった。TVに平野さんの奥さんと息子さんが出ていたが、小学生の息子さんは お父さんを尊敬し、大きくなったら消防団員になるそうだ。この話を聞いた時は涙が止まらなかった。私も一緒にもぐって仕事をしていた仲だった。心からご冥福をお祈りいたします。

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