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2011年4月10日 (日)

釜石湾漁業協同組合物資支援9

この後、根浜の宝来館に向かうこととした。NHKにはたびたび登場し、元気な姿を見せていた岩崎女将が気になったからだ。頑張りやで、いつも人のことを心配しているような女将。気を張っていて無理をしすぎていないか心配だったのだ。

根浜に向かう途中、鵜住居を通った。ここは、防波堤がなく海側が開け、津波の被害をもろに受けたということが分かる。内陸のほうまで、もはや全滅といった感がある。ガレキだけが残り、何もない。釜石の市街地以上に津波のすさまじさを感じる。今回の震災は地震災害ではなく津波災害だということがに認識できた。防波堤がなく、平坦で奥が開けているようん土地、石巻、気仙沼、南三陸、陸前高田、宮古などは、おそらく凄まじいことになっているだろうことが、この景色を見ているとおおよそ分かる。この復興にはいったい何年の歳月を要するのだろうか?戦後、積み上げてみたのものが一瞬にして無くなってしまった。おそらくはそれ以上の年数を要するのかもしれない。その年月を、どう過ごしていくのか、本当に考えていけないといけないのかもしれない。

根浜に向かう途中、小中学校の前が自衛隊が使用するのだろう整地が進んでいた。この小学校の上を津波が通過していったそうだ。小学校の大時計がちょうど3時25分で止まっていた。これほどの津波が来るとは思わずにたくさんの子どもが犠牲になった地区もある中で、ここの小学生は隣の中学校の生徒が手を引いて山の上まで逃がしたそうだ。隣の大槌街は、地震後、庁舎の前にテントを張り災害対策本部を設置し、町長以下幹部が全員集められたが、そのためにその全員が津波にのみ込まれたそうだ。判断の分かれ目。予想もしなかったことだろうが、そうして生き死にの境目があり、復旧や復興、避難者への対応を考えると、悔いが残ることだと思う。

あの美しかった、白砂青松の根浜の海水浴場にはもはや砂浜がない!海岸全体が地盤沈下をしているのだと思う。これは釜石港でも同様だった。おそらく平地には皆住みたくないだろう。復興や土地利用は改めて考える時が来ている。

一次避難所として周辺の住民を受け入れていた宝来館だが、現在では皆、町場の避難所にいていしているそうだ。移転先の連絡先が旅館の前に掲示してあった。女将も親戚のところに身を寄せていることが分かったので、夜になって会うことができた。

はやり張りつめていたのだろう。ホッとした顔を見せてくれた。疲れもたまっているのだと思う。体だけは壊してほしくない。無理をせず、ゆっくりと元気を取り戻してほしいと思った。私の手を握り、どうしていいのか分からないが、必ず宝来館を復活させたいので協力してほしいと懇願された。海に流され帰らぬ人となった人たちがたくさんいる。砂浜が無くなってしまったが、やがて砂が戻ってきてくれると信じている。この海岸を花でいっぱいにして、慰霊が海から見た時に美しい海岸にしたいのだと言っていた。

はやく復興させて、釜石祭り、引き船祭、釜石よいさ、花火大会を心から喜びながらできる日が来てほしいものだ。

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