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2006年1月 6日 (金)

和船の船名決定

船名[乙鞆丸]
<船名の由来>
野島は古くは孤島だったが縄文時代に後の寺前村近辺からの砂州が伸び陸続きになり
ました。
そして、その野島に伸びる東側(外海側)を江戸時代には乙鞆の浦(江戸名所図会よ
り)とよんでいたようです。そしてその場所は近代においても、乙艫海岸として人々
に親しまれてきました。現在乙鞆の浦の海岸は、野島海岸と埋め立てられた海の公園
に分かれており、今でも野島公園の海岸を乙艫海岸と呼ぶ人も多く見受けられます。
古くは一つの浜であったのが人の生業の中で分断され、一方は横浜唯一の自然海岸と
して残り、また一方は埋め立てられその姿を変えていきました。
今、私達は野島海岸と海の公園で活動をしています。そこに浮かぶ新船には、かつて
は一つであった浜の歴史に思いをはせ、「乙鞆丸」または「乙艫丸」と命名するのが
最もふさわしいものと考えたことによります。

海をつくる会の諏訪部さんが考案いたしました。

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